『誰だって物語の主人公。自分は、物語の主人公を生きていて、理不尽なことを要求してくる相手も、悪口を言ってくる相手も、あなたの物語の登場人物Aに過ぎないのだ』
私が大事にしている言葉です。
インターンシップに行った先で、取引先に向かう道中、何気なくいただいた言葉で、
ずっと頭に、心に残っている言葉でした。
その言葉が、ここ1、2年で、
ふと腑に落ちたのです。
だからこそ、今あなたにこの言葉を送ります。
『私なんて…』『この人の為に◯◯しなきゃ』『この人には逆らえないから』
こんなことを無意識のうちに考えている人は多いのではないでしょうか?
私もその1人でした。
例えば、学生の時。
部活の同期が円滑でいてほしいからと、自分はしたくないことまでキャラを演じてみたり、嫌われ役を買って出たりしてみました。
例えば、職場で。
部署の数字や利益の為に、自分が頑張れば我慢すれば済むと理不尽な要求にも応え、時には同僚の為に出る杭になりました。
どんなに先輩や上司から嫌がらせを受けても、自分にできることは誰かのために戦力になること、尽くすことだと勘違いをしていたのです。
心のなかで、『私なんかは、役に立たなければ存在価値がないのだ』
『人の役に立つことが私は好きなんだ』そう唱えていたのです。
そう、まるで自分自身に言い聞かせるように…。
今は、常用的に
『陰キャだ、陽キャだ』
『一軍だ、底辺だ』
『勝ち組か、そうでないか』
という、人を分類するよな言葉が使われます。
SNSをみていても、街中で聞こえてくる会話に耳を傾けても、人に向けてあるいは、自分に向けて使われています。
では、自分を『陰キャで、カーストの底辺』と自認している人は、自分は誰かの人生の脇役Aという役を必死に演じて生きているのでしょうか?
前述したような考えをかつて持っていた私は、
一時期『自分は物語の主人公のライバル役だ』と自分を表現したことがあります。
時には『悪役』の役割を担って生きていると思ったこともあります。
苦しくても辛くても、そういう役回りなんだと、泣きたい自分を必死に無視して生きていたのです。
しかし、泣きたい辛い自分をもう心が抱えられなくなってしまった時、
冒頭に紹介した言葉
『誰だって物語の主人公。自分は、物語の主人公を生きていて、理不尽なことを要求してくる相手も、悪口を言ってくる相手も、あなたの物語の登場人物Aに過ぎないのだ』という言葉が、ストンと腑に落ち、その言葉が、頭で分かった気になるのではなく、理解ったのです。
物語の主人公を生きるというのは、何も自分勝手に自己中に生きるという意味ではありません。
自分の人生は誰かのためのものではなく、自分のものでしかないということです。
あなたの人生は、何があっても必ずあなたが主役なのです。
例え、無償の愛を注ぐ子供であっても親であっても、パートナーであっても、その人を主役にした人生をあなたが紡いでいくのではないと言いたいのです。
勿論、子供や親やパートナーはあなたの物語の重要登場人物かもしれません。
でも、主人公が代わることはないのです。
時に、自分が主人公だなんて信じられないような、あるいは信じたくないような事象が起きることもあるでしょう。
そんな時も忘れないでください。
あなたは、今もどんな時もあなたの物語を生きているのです。
他者の物語では、あなたは友人Aかもしれないし、メインキャラクターかもしれないし、ターニングポイントとなる名もなき登場人物Bかもしれない、ただの通行人かもしれない。
他者の物語は他者のもの。
あなたがどんなに密接な関係であっても、あなたの物語になることはありません。そう、あなたの物語はあなただけのもの。誰に干渉されることも上書きされることもありません。
どんな選択もあなただけのものです。
勿論、登場人物たちは思い通りには動いてくれません。皆自分が主人公の物語を生きているのですから。
しかし、自分だけは自分で決めることができます。
あなたは、どんな物語の主人公になりたいでしょうか?
どんな物語を紡いでいくのでしょうか?
あなたが主人公の人生は、今この瞬間も紡がれていっています。
完結まで、あなたという主人公が紡ぐ、人生の物語を走り抜けてください。
このページを閉じたあと、
あなたは何をするのでしょうか?
あなたの物語の次の書き出しは何でしょう?
さあ、書き出してみましょう。「 」
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